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【知覧特攻平和会館】鹿児島で戦争・特攻を知り、使命感を持って生きていこう

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先日、ずっと行きたかった知覧特攻平和会館にやっと行ってきました。

私がここを知ったきっかけはお客様の社長さんから勧められた本でした。

人生に迷ったら知覧に行け―流されずに生きる勇気と覚悟

いまだに何度も読み返しますし、一時期はずっと枕元に置いて寝ていました。

この本を読んで、使命感を意識して生きよう、日本のためになることに命を使いたいと強く思いました。

経営者の方にも強くお勧めしたい本です。

こちら平和会館の入り口への道です。

 

知覧特攻平和会館とは


ここ知覧は、大東亜戦争(後に太平洋戦争とも)において戦況が悪化した日本軍が、起死回生を狙った特攻作戦※により日本で一番多くの特攻隊員が飛び立った知覧飛行場があった場所です。特攻隊員で亡くなったかた1,036人のうち、実に439人がここ知覧から飛び立っていったそうです。

※特攻作戦とは、航空機に爆弾を付けて人間もろとも敵艦につっこむ作戦。人間が確実に死亡する作戦であり、世界でも類を見ない悲惨な作戦。

そしてこの知覧特攻平和会館は、その特攻隊員たちの遺書や遺影などを展示しており、涙なしには見ることができません。

弱冠17歳で特攻により死ななければならなかった方の特攻前日に笑顔で写っている写真などがあり、今の平和な世の中からは考えられない苦しみ・環境を知ることができます。

 

場所は、

〒897-0302鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地

 

館内はすべて写真撮影禁止となっています。

 

館内には遺書・遺影やはちまき・特攻服、戦闘機の展示も


特攻により戦死されたお一人お一人の遺影と遺書が膨大に展示されています。すべてをじっくり見て回るには1日では到底足りません。

特攻隊員はまだ家族のいない若い方が非常に多かったそうで、遺影を見ると幼い顔の方が多い印象を受けました。

しかし遺書を見ると皆さん達筆で、死を翌日に控えて書く遺書を前にすると本当に10代の方が書いているものなのかと驚かされます。

特攻ですから、一度飛び立てばほぼ確実に死んでしまう状況です。それを翌日に控えてまともな精神状態では普通はいられないと思います。

この方たちはどのような気持ちでこの遺書を書いたのか、想像すらできません。

 

また、1時間おきくらいに館内の視聴覚室にて、語り手の方によってされる戦争や特攻作戦の話を聞くことができます。

私も聞いてきましたがとてもわかりやすく、涙をなんとかこらえながら聞いていました。

 

また、特攻の母として有名な富屋旅館の鳥濱トメさんのVTRも館内で流されています。

 

特攻隊員の宿舎(三角兵舎)も再現されています


会館の外には、特攻隊員の宿舎が再現されており、全国各地から集まった特攻隊員は2~3日後の特攻までここで宿泊されていたようです。

出撃の前夜には、この兵舎で壮行会が行われ、お酒を汲みかわしながら軍歌を歌い、薄暗いここで遺書を書いて、翌日特攻で往ったのです。

死ぬ恐怖と闘いながら、泣き声を押し殺して夜を過ごす隊員たちも多かったようです。

敵の空爆を回避するため、この三角兵舎は半地下のような造りでして、三角の屋根部分のみ地上に出ています。さらに屋根には木や緑を乗せて敵の目から逃れる工夫をしていたようです。

 

世界に誇れる経済大国になれたのもこうした先人たちの影響が強い


戦後、日本は世界でも例を見ないほどの成長で世界第2位の経済大国まで上り詰めました。

語り手の方が言ってましたが、特攻隊員の方を含めて戦争で亡くなった方たちの分まで生き残った方たちが一生懸命働いたお陰ではないかと仰っていて、私はすごく納得感がありました。

生き残った方たちは、自分は運よく生き残れたから、戦争で死んでいった仲間たちのために日本を良くするために自分の命を使おうという方がすごく多かったのではないでしょうか。そういう方が多かったとすると、戦後の状況から短期間で世界に誇る経済大国になれたのも納得がいきます。

今の日本には残念ながらもうないかもしれませんが、自分のことより世のため人のためという意識は国を発展させていく原動力となるのでしょう。

 

多くの若者に知覧特攻平和会館を見てほしい


私は世界を旅で見てまわりましたが、日本ほど安全・清潔で住みやすく、良い国はあまりありません。貧困・危険など私たち日本人が驚くような悲惨な状況がまだ世界にはたくさんあります。

私はそこで、なぜ日本はこんなに豊かなのだろうと思いました。同時に今まで当たり前だと思っていた日本での生活や豊かな国を作ってくださった先人たちに強く感謝しました。

今回知覧特攻平和会館へ行き、特攻作戦により亡くなった方たちこそが、今の豊かな日本を作る正に礎になっているように感じました。

私もこれから自分のやり方で、再び世界に誇れる日本を取り戻せるように何かしら関わっていきたいと思います。

日本の若い方々にこそ、ここを訪れて、自分なりの何かを感じ取ってもらいたいと思います。

 

特攻隊員から婚約者・家族に宛てた遺書(一例)


穴澤少尉から婚約者智恵子さんへの遺書を記載して終わりにします。

こんな悲しい話が現実にあったのです。

智恵子へ

二人で力を合わせて努力してきたが、ともに生きるという約束は、ついに実を結ばずに終わった。

未来への希望をもちながらも、心のどこかであんなにも恐れていた、永遠の別れが来てしまった。

先月の十日、次に会える日を楽しみにしながら、あなたと池袋の駅で別れたのだが、帰隊直後、我が隊を取り巻く状況は急転した。

それからというもの、自分は転々と任務地を変えつつ、多忙の毎日を送った。

そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。

便りを書きたい。伝えたいことは山ほどある。

(中略)

「あなたの幸せを願う以外に何ものもない。

いたずらに過去にこだわるな。あなたは過去に生きるのではない。

勇気をもって過去を忘れ、将来に新しい希望を見いだすのだ。

あなたは、今後の一瞬一瞬の現実の中に生きるのだ。

穴澤は現実の世界にはもう存在しない」

(中略)

今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言ってみたい。

一、読みたい本「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

二、観たい画 ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」

三、智恵子 会いたい話したい無性に

今後は明るく朗らかに。

自分も負けずに朗らかに笑って往く。

昭和二十四年四月十二日                  利夫

 

最後に、私が知覧特攻平和会館を知ったきっかけの本を再度掲載しておきます。

この本に出会えたことに感謝です。

人生に迷ったら知覧に行け―流されずに生きる勇気と覚悟

また行きます!

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